ふらふらとした頼りない足取りで、野兎が川獺を訪ねたのは、宴会から一夜明けたその日だった。
そして彼女は言う。
「か、川獺先輩…頭がいたい…」
俗に言う、二日酔いである。
*
「…昨日あんなに飲むからだろ」
「すみません…、…頭ががんがんする…」
もう少し経ったら効きはじめるから、と、川獺は野兎の頭を軽く撫でる。
効くのならあの苦かった薬効も我慢できるというものだ。今は何より頭痛の方が、彼女にとって苦痛であったことは間違いがない。
「ちゃん、下戸なのにあんなに飲むからよ…、実際すごかったぜ?あんなに毛嫌いしてた喰鮫にも酌するくらいだったからな」
「えええええ、私そんなことしてたんですか!」
「しかも自分から寄っていってね。しかもその後は鳳凰さんにべったりだし」
「べ、べったりとは、どのような…?」
「思いっ切り抱きついてそれから放れない程度には」
「ももももうお仕事できない…!鳳凰さんの顔が見れない…っ!!」
「ちゃんも楽しそうだったから、止めるわけにもいかねぇしよ」
「止めてください!止めてあげてください!」
うつ伏せに伏せって、畳をどんどんと握った拳で叩き始める野兎に、川獺は『頭痛はもういいのか』と呟いた。けれどそれが今現在の状態の野兎の耳には届かなかったようで、野兎はそのまま絶望しつくしたかのようにはたりと動かなくなった。
こう大人しくしていれば、名前通りの野兎のようなのに、と、けれど川獺は思ったようには口にしなかった。
この状態の野兎に、酒を飲んでからお前がやったことはまだ沢山ある、とは言えそうもなかった――
――例えば、蝙蝠にもしっかりと甘えていたこととか。
胡坐をかいていた蝙蝠の膝の上にびろんと延びた状態で、へらへらと笑っていた野兎がふと思い出された。
酒が入っていたとは言え、無防備にも程がある。
きゃはきゃはと笑う蝙蝠の姿も同時に思い出されて、川獺は短く息を吐き出した。
「ちゃん、ひとつ確認したいことがあるんだけど」
「何ですか、川獺先輩」
「蝙蝠の奴と恋仲って、本当?」
「ぶはっ」
川獺と会話するために一度上げられた頭は、再び畳の上に堕ちた。
暫くの沈黙。
本当に堕ちたか、などと川獺が思い始めたとき、ようやく野兎はがばりと起き上がった。
「だっ、誰がそんなことを!」
「誰っていうか、風の噂みてぇな節があるかな」
「違いますよ、断じて違います!どうして私があんな奴と、こっ、恋仲なんかに!」
必死の形相で否定する野兎には悪かったが、川獺は内心ほっとしていた。
矢張り、嘘だったか。
あの独特の笑いの中で、俺の子猫ちゃんに手ぇ出すなよ?などと嘯いた蝙蝠が再び脳裏にちらついたところで、まだ自分にも機会があるということを、素直に喜ばしく思う。
――しかし、蝙蝠がちゃんを狙ってることに違いはねぇんだよな…
そう考え出せば切りがないのも事実だった。何せ野兎を狙っている輩というのは、どう考えたところで多すぎる。
蝙蝠は本人から聞いたから間違いがないとして、蜜蜂もそうだし、本人は気付いていない節があるが、蟷螂もそうだろう。白鷺と海亀は、恐らくは保護欲に似たようなものだと見受けられるが、しかし喰鮫は言うにも及ばず、といったところ。
こうして考えれば、自分も含めた12頭領のうち約半数が、野兎を好いているということになる。まぁ、これは川獺自身の勝手な憶測のところもあるから、正確とは言えないのだが。
そして、その手の話に酷く鈍い野兎が、誰にでも無防備だということも事実なのだ。
「…まぁ、ともかく酒は少し控えないとなんねぇよな」
野兎に諭すように言った川獺だったが、彼自身もまた先日の酒の席でいい思いをしているから、敢えて強くは言わなかった。
09.01.28 ← ■ →