――今日は姿も見ないで済みそうだと思っていたのに。


昼休みの廊下の真ん中で、私は誰に気付かれることもなく息を吐き出した。
私の視界の先にいるのは、見慣れた…見慣れてしまった長髪だ。何で二年生の教室連のところにいるんだろう、ということに関しては深く考えないことにした。


とりあえず、この廊下は通りたくない。


違うクラスの狂犬ちゃんに用事があったのだけれど、仕方ない。迂回することにしよう…そう思って、私はくるりとターンして階段へと向かった。


「こんなところにいたのですね、」


がしっ。
後ろから手首を掴まれた。


「あぁ、詰まるところあなたのいないところを通ろうと思っただけでしてまぁ他に意図はないのですけれどとりあえず私は狂犬ちゃんに用があるので階段降りて一回から遠回りしようと思っただけですのでどうかお気になさらず喰鮫さん」


ノンブレスで言い切った。



「随分と、つれないですね…つれないですね、つれないですね」
「いやあ、つれるもつれないも、まずはその手を離して、くれま、せんかっ!」


腕をぶんぶん振り回してみたら、思いの外簡単に喰鮫さんの手はほどけた。
けれど、どうしてなのか、訝っている余裕は私にはない。
私はそのまま、目の前の階段を駆け上った。


後ろで、笑い声が、聞こえた。


「ああ――楽しいですね、楽しいですね…楽しいですね!」


追いかけて、来たああ!!
いや、このまま何事もなく終わるなんてことはないってわかっていたけれど!
私は持てる限りの力で、三階にある三年生の教室連を駆け抜けた。
しかし、そこは地力の差だ。私と喰鮫さんの距離が縮まって来ているのが、背中越しでもわかる。


まずい、このままでは――!!


と、そのとき。
私の目に、ある人の姿が映った。
その人は最初、疑問を孕んだ目をこちらへ向けていたが…後ろから追ってきている喰鮫さんを見て、納得してくれたようだった。


「た、助けてください鴛鴦さん!」
「任せな」


鴛鴦さんは立ち止まった私を、自分の後ろへと庇ってくれた。惚れそうだ。
そして、鴛鴦さんはその長い足をすっと伸ばす。
急には止まれなかった喰鮫さんは、その足に躓き――しかし、それでも転ぶことはなかった。
鴛鴦さんが舌打ちしたのが聞こえた。


「ほらほら、。ここは鴛鴦に任せて、いくぜ」


すっと伸ばされた手が、私の手首を掴んだ。さっき喰鮫さんが私を掴んだそれとは違い、労るような優しさのある掴み方だった。


「蝶々さん、」
「随分追いかけられてたみてぇだが…大丈夫か?」
「は、はい…なんとか」
「よし、教室まで逃げきっちまえばとりあえずこっちのもんだ。もうすぐ昼休みも終わりだしな」
「す、すみません」


そして、蝶々さんは私の腕を引いて走り出した。
立ち去り際、私は頭だけ後ろを向いて、こう言った。


「鴛鴦さん、ありがとうございます!」


鴛鴦さんは私の声に、軽く手を挙げる形で応えてくれた。