轟々と木々が焼けていく音が耳について、ひどく煩わしかった。
私のいる寺社の、その本堂は古ぼけていて、木々の継ぎ目は相当たわんでしまっている。
私の周りには、全部で十二の身体が転がっていた。
「…どうして、ですか」
「さあな。俺にもわかっちゃいないから、神様にでも聞いてくれ」
片腕を亡くした木菟さんは、掠れた声で答えた。
辺りは血に塗れていた。そのどれもがまだ新しく、動きを失った肉塊から今も尚零れ続けている。どこまでが炎か、どこまでが血液か、それすらもよくわからなかった。
転がる死体のひとつが、焦げた木片を手にしていた。恐らくこれが火種だろう。余計なことをしてくれたものだ、このままではこの木造の本堂はあと数分も持たない。
…その前に、何とかしてここを出なくてはならない。私の頭の中は必要以上に絡まることなく、最も適確な答えを導き出した。そして私は、力なく床に横たわる木菟さんに肩を貸す。
そのとき、木菟さんの渇いた口が何かを言いたそうに開かれた。
けれど、何かを言おうとしても出てくるのは掠れた音だけで、その言葉は断片的でよく聞き取れない。
「静かに…してください」
一言何か話そうとする度、木菟さんの心臓はばくばくと大きな音を立てた。
その音がいつを最後に途切れてしまうのかと、私の不安をひどく煽り立てる。
木菟さんの腕から流れる血が、私の腕を濡らした。夥しい量だった。一体どのくらいの間、血を流し続けていたのだろうか。木菟さんの顔は最早血の気なく、冷たい陶器のように真っ白だった。
私は木菟さんを支えて、立ち上がる。
早く処置しなければ、このままでは――
「――そうか」
木菟さんの声は掠れて消えてしまいそうだったけれど、今度は確かに――聞き取れた。
同時に私の脇腹に走ったのは鈍く蹴られるような痛みで、それを理解したときにはもう、木菟さんの身体は宙にあった。
そのまま、木菟さんの持つ質量が床に落ちる音。焼けて脆くなった木の板が、痛々しく軋んだ。
一連の動作は明確だった。木菟さんが、自分を支えている私を突き飛ばしたのだ。
「木菟、さ…」
「来るな!」
駆け寄ろうとした私を、木菟さんは一喝した。
さっきの衝撃で、口の端を切ったらしい。真っ赤な血が、木菟さんの唇を濡らしていた。
火の明かりでてらてらと光る血が――木菟さんが、口を開いた。
「置いていけ」
がつん、と、
金槌で頭を殴られたような衝撃だった。
「あんたも気付いてるんだろ、もうこの傷じゃあ、どうしたって助からない」
抗議したい言葉は沢山あった。けれどその言葉たちが喉の奥でつかえて、上手く外へ出てこない。それを知った上で、木菟さんはたたみ掛けた。
これが最後だと、言わんばかりに。
「このまま俺を連れて帰って、運悪く命拾ったところで、どうなるんだ。片腕はない、残った腕もどこまで動くかわからない、足だって前より動くはずもない。いるだけでお荷物なのに、そうとなってまで、俺に生きていろとでも言うつもりか。そんな価値のないしのびは、生きている価値もないに同義なんだよ」
人間でいようと、思うんじゃねぇ。そんな堅気の考えなんて、いらない。
木菟さんの言葉の、その最後の方は、酷い耳鳴りのせいでよく聞き取れなかった。
そのとき私の網膜を襲っていた、とんでもない既視感だった。
この情景は、まるで。
「…また……私に、見殺しにしろって、言うんですか…?」
いつか、愛した人が殺されるのを、茂みの中から見ていることしかできなかったあの日のように。
木菟さんは私の言葉を聞いて…自嘲的な風に、笑った。そうして彼の告げた一言は、私の長い間の葛藤の答えであることに、間違いがなかった。
「じゃないと、しのびなんてやってられないだろうがよ」
――全く持って、その通りだ。
私は強く唇を噛むことしかできなかった。
「突き詰めたところ…他人を殺せるかどうかなんて、問題じゃないんだ。問題は…あんたにとって大事なのは、仲間を見捨てられるかどうかなんだよ」
木菟さんの言葉は、もうほとんど聞き取れない。
私は木菟さんの横たわるすぐ傍へ歩を進めた。来るなとは、もう言われない。言うだけの時間が残っていないのだと、私は知った。
「あんたは…臆病だな」
はっきりと本質を言い当てられた気がして、私は小さく頷くことしかできなかった。。木菟さんはもう焦点も定まらない目でその様子を見て、長く息を吐き出した。
「鳳凰どのは…外にいるのか」
「…はい」
「お見通しだな…何もかも」
そうして零した笑い声はやっぱり自嘲的だったけれど、今までで一番人間らしいそれのように感じられた。
ばきり、何かの折れる音がして、天井の梁が一本焼け落ちた。それは私たちから幾分離れたところで、轟々と燃えさかる炎の中へ落ちていった。
「ここももうすぐ崩れるぞ、早く行け」
呼吸が続いてくれないのは、煙のせいだけではない。
「おいおい、何だよその顔は」
虚ろな目で私を見た木菟さんは、呆れるようにそう言った。
私は一体、今どんな表情をしているんだろう。
少なくとも、木菟さんや私の言う、しのびらしい表情ではないことだけは確かだった。
「――何が、猫みたいだ」
ぽつりと、
木菟さんの目には、もう私の姿すらまともに映ってはいないようだった。けれど残った手で私の頬に触れて、木菟さんは呟く。それはもう、誰に宛てたものでもない、ただの独り言だった。
こんな状況なのに、それすらどうでもいいみたいに…楽しそうに笑って。
「これじゃあまるで…」
その先は、言葉にすらならない。
頬に添えられた手は、するりと床に落ちていった。
「…しのびになるのって、難しいですね」
木々を燃やす炎のせいで、元来暗いものであるはずの空は、ひどく明るかった。
「お前にとっては殊更、そうであろうな」後ろに立っている鳳凰さんは、静かにそう答える。全く持ってその通りで、私はこれ以上気丈に振る舞うことができずに、冷たい地面へと視線を下ろした。
「すみません、鳳凰さん。…ちょっとだけ時間貰っても、大丈夫ですか」
鳳凰さんが頷いたのを知ったときにはもう、私は立っていられなかった。
今まで堪えて来たものが決壊したように、涙が一気に溢れ出した。
これまでの分の涙もこれからの分の涙も涸らしてしまうくらいに、私は大声を上げて泣いた。
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11.04.06