生い茂る草葉の影に、男がひとりいた。

じっと息を潜め、飛び込んでくる獲物を、今か今かと待つ。
愚かな奴だ、これが罠だとも知らずに。
そんなことを考えながら、男は少し長めに息を吐き出した。
真庭鳳凰を攻撃すれば、の方が釣れるであろうことは敵も確認済みだ。だというのに、それを知りもしないで一人敵地へ突っ込んでくる。彼女が自分の周囲を囲む敵の存在に気付くのは時間の問題だったが、それでももう、手遅れであった。





ああ、これはやってしまった。

そう悟ったのは、辺りを他のしのびに囲まれていると知ってからだった。
その数はおおよそ、十と少し。大人数に加え、あの死んでいった男が莫大な金を積んだ精鋭たちである。一人二人くらいなら私ひとりでもどうにかなったかもしれない。けれど、この状況はどう考えても、ちょっと荷が重すぎる。
この最悪の状況を何とかできるのは、きっと鳳凰さんくらいのものだろう。
鳳凰さんのところを離れてから、かなり走った。辿ってきた相手の気配に気取られぬよう、途中で私の忍法も挟んだりしたから、鳳凰さんが私の跡を追うのもかなり困難であるだろう。自惚れるつもりはないが、それくらいには自分の技に自信を持っている。
なので、この状況で助けを期待するなど、身勝手もいいところだった。
敵方は恐らく、私の正確な位置までは把握できていない。だが、それもそう遠くない話であることは確かだった。例えば今、私が更に駆け出したりすれば、完璧に居場所を特定される。

――さて、やれるだけやってみようか。

先程殺した男に向けた言葉に、偽りはない。
確か、この近くには使われていない古びた寺社があったはずだ。大人数が相手なら、そこに誘き寄せた方が都合がいい。

そして脇差しを握り直したときだった、背後の茂みがざわめいたのは。
はっとして、私は後ろを振り向いた。もう草木が揺れることはない。私は咄嗟に目を閉じて、全意識を聴覚に集中させた。
ざっと時折聞こえる草ずれの音は、完全に気配を消せているとは思えない。これが鳳凰さんの気配でないことは明らかだった。
冷静な私だったのなら、この走りが些か不自然だったことには気付いただろう。けれどそれよりも、敵が現れたのだと頭が認識する方が些か早かった。
十対一になるよりは、先に一人始末して、九対一となるほうがいいに決まっている。
同時に周囲の様子も探ったが、どうやらまだ私の気配に気付いた様子はない。
それを知った私は、去っていく気配に向けて手裏剣を打ったが、命中した様子はない。舌打ちひとつ、その後を追った。





どのくらい走ったろうか。どの程度かは計測していなかったのでわかるべくもないが、かなりの距離を走ったことは確かだった。
けれど一向に、敵の背中は見えてこない。かと言ってどこかに潜んでいるのかと言えば、きっとそんなこともない。音は常に、私の目の前にあった。
そしてついに、常に目の前にあった気配がふっと途絶えた。
新手の忍法だろうか、一体どこに潜んでいる。そう辺りを探ったところで、再び目の前で草木を揺らす音がした。
今までと違うのは、その音源がかなり近いところにあったということだ。私は脇差しを片手に、その木々の間に割って入った。

どん、

私の思考が止まったのは、その影にいた誰かと強くぶつかったからだ。

「やはり、か」
「鳳凰、さん」

目の前にいたのは、見紛うことなく真庭鳳凰その人だった。
偽物ではないかと疑った。が、そんな様子はない。これだけ気の張っている今に、これだけ接近している状態だ。もし相手が人相を自由に変えられる忍法の使い手だったとしても、それに気付けるだけの確信はあった。

「鳳凰さん、こっちに敵が一匹行きませんでしたか」

感動よりも早く、私は鳳凰さんにそう尋ねた。もしかすると、私より先に鳳凰さんが始末してしまったかもしれない。けれど、鳳凰さんの答えは私の予想していた答えとはまるで違い、

「来ていない」

というだけのものだった。
それは、おかしい。
私は鳳凰さんの気配ではなく、敵の気配を、敵の音を追って此処まで来たはずだ。なら、どうして――

「…不味いな」

思案顔の鳳凰さんが、私の思考を遮るように、ひとこと、そう言った。
一体何がまずいのか、それを察する術は私にはなかった。鳳凰さんは持っている知識を総動員するかのように、その鋭い目を僅かにうつむけて、言った。


「木菟の仕業だ」





11.03.31