ココアの入ったマグカップは私の手のひらを程よく温めてくれたけれど、私の頭の中は依然として冷えきったままだった。
冷えきっているというよりは、フリーズしてしまっているという方が正しいかもしれない。我が物顔で(いや実際そうなんだけど)私の座っているその隣にふんぞり返っているこの部屋の主を見ながら、私はこっそりため息をついた。


最初にこの高そうな革張りのソファに座っていたのは私だったのだ。最早眠る直前の日課のようなものになっている、砂漠の夜は冷えるから、そう言ってこっそりオールサンデーさんに買ってきてもらっていたココアを手にしながら。まあ夜の砂漠が冷えるというのも最後に経験したのはもうかなり前の話だし、ここは他でもないその砂漠の英雄のお部屋だから、寒いも何もあったものではないのだけれど。
私がその座り心地の良いソファに身を落ち着けた直後、この部屋の主は帰ってきた。
クロコダイルさんは、羽織っていたコートを脱ぎながら、最初何気ない感じで私を見た後、視線を降下させて、私の手にまだ熱いココアがあるのを見て何故か舌打ちをした。何か悪いことでもしただろうか。それとも部屋の主を差し置いてぬくぬくとココアを啜っていたのがいけなかったんだろうか。少しひやっとしたけれど、クロコダイルさんは何を私に言うでもなかった。そうだ私は悪くない。オールサンデーさんが買ってきてくれたココアはやっぱり美味しいなぁとか、そんなことを考えていただけだ。まだ何もしていない。クロコダイルさんはそのままの足でずかずかと私の座るソファまで歩み寄ってきて、そのまま私のすぐ横に腰を下ろした。


ソファは決して小さくないけれど、王様サイズというわけでも、決してない。ましてクロコダイルさんみたいな身体の大きい人が横に座れば、三人掛けくらいはあろうこのソファだってまるで小さく感じてしまうわけで、私は渋々そのソファを明け渡そうと腰を上げたのだった。どうせあっちに一人がけの王様椅子があるんだから、そっちに座ればいいのに。
けれど、そんな私の気遣いも、クロコダイルさんの足使いによって無下にされた。クロコダイルさんは立ち上がりかけた私の肩のあたりを、あろうことかその足で半ば無理矢理ソファの方へ押し戻したのだ。危うくココアを零しそうになり、私は焦った。


(………)


じとっと、いきなりそんなことをしたクロコダイルさんを睨め付けてみたけれど、当の本人はまるで何処吹く風だ。私が何を言おうとも全て聞き流すつもりでいる。かと言って、私が再びこのソファを離れようとするものなら、先程と同じ展開になることはすぐに想像できたので、仕方なしにソファの端っこに寄ることにした。
以前、この状況を打開できる策はない。
はっきり言ってソファは狭い。いや、何て言うか、心理的に。
そんなこんなで、私の頭は今、とっても役立たずなわけである。


「てめぇの頭はいつも役立たずだろ」
「あ、言いましたねクロコダイルさん」


考えを読まれたかのような発言に、少しかちんときた。
此処に半ば幽閉される形になる前までは、それなりに頭を使って生きてきたつもりだというのに。
それもこうして捕まってしまった以上、彼にとってはきっと些事でしかないのだろうけれど。
今のクロコダイルさんの体勢は、身体は斜めを向いていて、その長い足は床に投げ出されている。如何せん足が長いので、つま先は端っこに寄っている私の足に既に届いてしまいそうだった。
ううむ、奇妙な絵面である。


「あの、クロコダイルさんは結局何がしたいんですか?」
「さァな」


問いかけてみるも、その答えはまるで要領を得ない。彼にはまるで、この状況を説明するつもりもないようだ。
いっそこの長い足にココアでも零してやろうか、そう考えたら、大きな手が伸びてきて私の頭はがっちりホールドされた。恐る恐るその腕の先を見てみれば、私の考えをしっかり読んだらしいクロコダイルさんの厳つい顔と視線が合う。
「枯らすぞ」、クロコダイルさんは何も言わなかったけれど、目だけが暗にそれを伝えていた。お、オールサンデーさんはそんなことで怒ったりしないのに!
「すみません」私が目でそう訴えると、クロコダイルさんの手は私の頭を投げるように力を込めた後、離れていった。危ない危ない、こんなことで頭を枯らされてたまるか。


「…あのう、私そろそろ眠いんですけど」


その流れで、私は思っていたことをそのままクロコダイルさんに告げた。
そもそも、ココアを飲むのは眠る前の日課だ。日課になっているということは、当然体のリズムもそれに合わせて秒針を打っているということで、私の眠気は最高潮と言っても過言ではないくらいにまでは上り詰めていた。


今日はどうしようか、オールサンデーさんのお部屋に泊めてもらおうかな。だってどうやら今日のクロコダイルさんは機嫌が大変よろしくないみたいだし、触らぬ神に祟りなしだ。…もう祟りには遭っているのかもしれないけれど。
クロコダイルさんからの返事がないので、それを肯定だと受け取ることにして、私は再度立ち上がりかけた。


けれど、それもまた彼の足によって阻止されてしまう。
今度、彼の黒い靴の爪先が向かったのは、私の肩ではなくてソファの肘掛けのところだった。まるでとおせんぼするように、私の腹のすぐ前にクロコダイルさんの足が支え棒になっているので、私は思うように立ち上がれずに、再びソファに身を沈めることになる。


本当に、この人は何がしたいんだ!


今度こそ意見してやろうと、きっとクロコダイルさんを睨んだのと、ほぼ同時だった。不意に、さっき私の頭を掴んだ手が伸びてきて、私の持っていたマグカップは奪い去られる。


「…甘い。それに温ィ」
「だったら飲まなきゃいいじゃないですか、返してください、」


それ私のです、そう続くはずだった言葉は、急速に小さくなっていく。
あろうことか、クロコダイルさんは手にしたココアをそのまま砂にしてしまったのだ。お気に入りのマグカップも、もろとも。
さらさらと床に舞っていくその残骸を見て、私は半ば悲鳴に近い声を上げた。


「あああっ何するんですかっ!」
「騒ぐんじゃねぇよ、耳障りだ」
「そう思うんならこんなことしなきゃいいじゃないですか!だってこのマグカップ…」


オールサンデーさんが買ってきてくれたものだったのに!
そこまでは言えずして、私は再び言葉を呑み込むこととなる。
クロコダイルさんの顔が、すぐ近くにあったからだ。


「てめぇは、俺の言うことだけ聞いてりゃいいんだ」


そんな横暴な、そう考えたときにはもう私の唇は塞がっていて、彼は私に考える余地すら与えてはくれないようだった。




ホワイトナイト・ロマンチカ


「あら、サーも素直じゃないのね」


マグカップを砂にされてしまったこと、オールサンデーさんに謝ったら、彼女は綺麗に笑ってそう言っただけで、怒られるようなことはなかった。




10.12.30 Title by ロメア