「――あぁ、温かいですね」


背後の喰鮫さまは、そう言った。
否、背後と表現するには些か密着しすぎている気もする。


「…喰鮫さま、いつまでこうしているつもりですか」
「そんなの私が満足するまでに決まっているじゃあありませんか」


あぁ、いいですね――、と、
喰鮫さまは、後ろから私を抱きしめる力を僅かに強めた。





、鬼事をしましょう」
「……何言ってるんですか」


唐突な喰鮫さまの提案に、私は『面食らった』と表現することしかできない。


「…あの、私、海亀さまに用事が…」
「そんなの後でいいじゃないですか」
「いえ、確かに急ぎの用ではないんですけど、早いに越したことは」
「後にしましょう」
「ですから、海亀さまも多忙のひとですし、」


私がそう言うと、喰鮫さまは、そうですね、と呟いた。手を顎に当てて考え込むようにしていた。
私としても、久々に遊技に興じたいのは山々なのだが、仕事が残っている以上は仕方がない。喰鮫さんとは予定が合わなかった。それだけだ。申し訳ないけれど、喰鮫さんには諦めて――


「みたらし10本でいかがでしょう」
「手を打ちましょう」


団子に釣られてしまった。しまった、つい、反射的に。
見れば喰鮫さまは心底面白いという風に、くっくと喉の奥で笑っている。
これでは私が甘いものに目がないという設定になってしまいかねないので、これからはもっと考えてから言葉にしなくてはと思った。いや、以前もそれで川獺さまに釣られてしまったっけ。


「……で、どちらが鬼ですか」


なかなか笑いを納めない喰鮫さまに少し苛立って、ぶっきらぼうに私はそう言った。さっさと終わらせて、私は仕事に戻ろう。


「そうですね、私が鬼です」
「また何故?」
「追いかける方が楽しいじゃありませんか」


まぁ、別に不満があったわけではない。この人の性格を考えれば充分に有り得た可能性だ。
それでは、私は手を抜いたのがばれない程度に手を抜きつつ、適当な頃を見計らって喰鮫さまに捕まるということにしよう。


「そして――そうですね、私が貴女を捕まえたら、ひとつ言うことを聞いてもらいましょうか」
「意味がわかりません」
「こういう制約があった方が貴女も必死になって面白いでしょう?」


…すっかり見透かされている。


「納得いきません」


それでも、私は食い下がった。仕事が遅れて、海亀さまの怒りを買うわけにはいかない。
喰鮫さまは、あの人を食ったような笑顔をこちらに向けていた。…私が海亀さまに怒られたところで、この人はきっとそれも楽しむんだろうなぁ。しかし、そうさせるわけにはいかない。なにせ海亀さまのお説教は本当に長――


「みたらし追加10本でどうでしょう」
「わかりました」


……もう自分は一度死んでしまった方がいいと思った。





そんなこんながあって、今に至る。
しかし、あれは反則だと思うのだ――得物を振り回して鬼事をする人間が、どこにいるというのだろう。鬼事って童がするような可愛い遊びじゃないのか。華麗に裏切られた気分だ。
ひとつ言うことを聞く、ということで、私はどんな無理難題を課されるかと身構えたのだが、それも杞憂だったというか、結局喰鮫さまが命令したことは、…まぁ、私にとって理解し難いものだったに違いはないのだが。


それで、今私は喰鮫さまに後ろから抱き締められているというわけだ。


「…これで良かったんですかねー」
「何がですか?」
「こんなことより、もっと喰鮫さま、面白い命令あったんじゃないんですか?」
「もっと面白い…ですって?」
「いえ、私としては楽なんでいいんですけど…」
「貴女はそういうのをお望みでしたか…そうですね、貴女が望むというのなら、それもいいですね――いいですね、」
「海亀さまの大事にしてる壺叩き割ってこいとか、海亀さまのへそくりちょろまかしてこいとか、そのくらいのことならやりますよ」
「……」


何故か喰鮫さまが黙ってしまった。私が海亀さまの壺を叩き割ったり、へそくりをちょろまかしたりすると、何か不都合があるのだろうか。私としては、もう海亀さまに怒られること確定ということを踏まえた上での腹いせだったのだけど。よくわからないけれど、喰鮫さまが黙ってしまったので私も黙ることにした。
(この場合、両者にとっての『面白い命令』の言葉の理解に、絶対的な溝があったことは明らかである)


「…
「なんですか?」
「……いえ、なんでもありません」
「?そうですか」
「…それにしても、温かいですね」


喰鮫さまはそう言って、私の肩に顔をうずめるようにした。垂れた喰鮫さまの前髪がくすぐったかったけれど、別に嫌なわけではなかった。




おいで、おいで
10.02.01(大人しい喰鮫書いたつもりがこれ喰鮫じゃない)