「物好きだな」
夕日の差し込む放課後の資料室で、いきなり鳳凰さんはそんなことを言った。
「へぇ、そうなんですか?」
誰か偉人さんについて言っているのだろうか。社会科の何だかよくわからないけれど分厚い本に目を通している鳳凰さんを見てそんなことを考えていたら、まるで私の考えを読んだように、ふと鳳凰さんは私にその鋭い目を向けた。
その意味を理解するのに、数秒。
「わ、私のどこが物好きですか!」
「強いて例を挙げるなら、放課後、友人と遊びに行くでもなく勉学に励むでもなく、ただ毎日こうしてこのような場所へ来たがるところ、その他諸々含めてだ」
そうとだけ言って、鳳凰さんの目は再び開かれた本へと戻っていく。
まるでからかわれたようなむず痒さがあって、私の口は自然と三角になっていく。何で鳳凰さんはわざわざそんなことを言ったんだろう。そう考えるとちょっとだけ不安になって、「…鍵開けてくれって頼みに行くの、迷惑ですか?」私は尋ねようとした。
けれどそれより先に、ともすれば先読みしたように、鳳凰さんと私の口が開かれるタイミングは同時だったのだ。
「、紅茶が冷めるぞ」
言われた通り、私の手にあるマグカップに注がれた熱い紅茶は、少し目を離した間に程よい温度にまで下がっていた。
すっかり声にするタイミングを失ってしまった私は、背中に感じるパイプ椅子の無機質な冷たさに無性に八つ当たりしたい気分になりながら、周防色のマグカップに口を付ける。その液体を口の中で転がしても、それが何の品目の紅茶であるかを言い当てられるような舌も知識も、私は持ち合わせていなかった。
「だって、好きなんですもん」
このまま軽くいなされて終わってしまうのはちょっと悔しかったからかもしれない。私はぽつりと、視線はカップをたゆたう紅茶に向けたまま、そんなことを言った。
はたり、と。
ページをめくる鳳凰さんの手が止まる音がした。その上に返事がないことに不安を覚えて、恐る恐る鳳凰さんのいる方へと視線を上げる。その際視界に入った、これもまた無機質な業務机の上にケトルと並べて置いてあった円錐の缶を見て、今飲んでいる紅茶がアールグレイのちょっと高いやつだということを知った。
「この教室が、か?」
そうしてようやく、鳳凰さんはそんなことを言った。
「…はいそうです」
本当は、別にこの教室が好きなわけじゃない。自分でもわかってはいたけれど、ちょっとばかり捻くれてしまった私の言葉は、鳳凰さんの言葉を真っ直ぐ肯定してしまった。本当に私が好きなのは鳳凰さんが紅茶を出してくれるこの時間で、…古い本の匂いがするこの教室に、特別な思い入れがあるわけでも何でもない。
ああもう、ちょっといなされたくらいでこんな子供みたいなやり返ししかできないなんて、自分にいらりと催して、私は残った紅茶を一気に飲み干した。
「そんなに好きなら、今度合鍵を作っておいてやろう」
え、と私の頭は一旦動くことを停止して、それと同時に食道もきゅっと閉まってしまったらしく、一気飲みなんてしようと思った自分を呪った。
行き場をなくした紅茶に盛大に咽せた私に、鳳凰さんは「大丈夫か、」と気に掛けるように声をかけてくれる。
「合鍵さえあれば、お前がわざわざ我を訪ねて来る必要もなかろう」
「いや、あの…でも、合鍵なんて勝手に作ったら、怒られるんじゃ」
「何か悪さをするわけでもないだろう」
ぐう、と唸って、私はその先の言葉を失ってしまう。
それでは意味がない。それでは意味がないのだ。
私は一生懸命、この状況をどう打開すべきか考えた。ここまで来て、それは我が儘かもしれないけど。自分でこのカップに紅茶を注ぐ姿を想像して、ちょっと嫌だった。鳳凰さんのいないこの教室はきっとがらんとしてとても寂しい。
「…鳳凰さんがいない教室は、別に好きじゃないです」
鳳凰さんを直視することができなくて、私は少し俯きがちにそう呟いた。
そうすると、まるでよくできましたと言わんばかりに、鳳凰さんの大きい手が私の頭を撫でた。ふと上げた顔、悪戯染みた鳳凰さんの目が見えて、嵌められたのだと気付く。抗議しようとしたときには鳳凰さんの唇が私の額に落ちてきていて、私はその言葉すら失ってしまった。
放課後の資料室は、紅茶の良い匂いがした。
午後四時半の夕暮れ
Dear 2k様 11.05.29