暦は皐月を表した、とある日のことである。

「かくかくしかじかで道中ご一緒させていただきます、どうぞよしなに」

そう言って礼儀正しくぺこりと頭を下げたのは、真庭野兎であった。
とがめと七花はそれぞれ違う思いを持ってその姿を凝視した。抱く思いは違えど、それでも共通していた意識は、二人とも『ひどく驚いた』という点である。咄嗟に七花は、とがめを己の背後へと庇うような体勢を取った。

二人が彼女の姿を視認したのは、かの校倉必との対談を終え、宿屋から一歩踏み出したときだった。書状を受け、真庭鳳凰の元へと向かおうとしていた時でのことであり、目の前にある真庭鳳凰と同じ姓を持つ存在は、とがめが訝りの念を抱くには充分だった。

「…何故きさまがこのような場所におる」
「あー…それです、奇策士さんが手に持ってる、その手紙」

かつてのことはともかくも、今となっては仮にも敵対し合っている間柄だ。野兎のその態度もまた常軌を逸したものであったには違いがないが、彼女自身はそんなことは気にした風もせず、若干歯切れ悪くとがめの手の中にあったものを指さして、

「その手紙の通りの場所へ行けば、鳳凰さんに会えるんですよね?」
「はぐれたのか?」
「ぎくっ」

鎌を掛けただけなのに、野兎の態度はあからさまである。
とがめはしたり顔で笑んだ。

「なるほど…おぬしのそのようなところは、あれからまるで変わっていないようだな」
「ぐう、まさか、私がかくかくしかじかと誤魔化した部分を詳らかにされるとは…そういうところも変わってないようですね、奇策士さん」

目線を合わせようとしない女と、黒い笑みの女。
ああ、いつものとがめだなあなんてそんなことを思いながら、会話に入れない七花はその様子をただ見ていた。

――…あれ?
けれど、ひとつ気がついたのだ。とがめの、いつも通りではないところに。
とがめが、曲がりなりにもこの女ときちんとした会話をしているという状況。それは交渉と言えなくもないが…それがおかしかった。彼女の意匠はどう見てもまにわにのそれだ。なのに、この二人の間には、どこか親しささえ感じられる。疎い七花にさえ感じられたのだから、よほどそれは確かなものだったのだろう。そして何より、とがめがまにわにに対して、「斬れ」と命令しない。

「なあ、とがめ。こいつは斬らなくていいのか?」

ようやく口を開く機会を得、思ったままにそう尋ねた七花に、きょとんとしたのは野兎だった。

「えっちょっ…そんな馬鹿な話が」

そして盛大に慌て始めた。
こういう展開になることは予め予想できていてもおかしくはなかったろうが、生憎野兎はそこまで考えてはいなかったらしい。

「こいつ、まにわになんだろ?」
「あの、そんな問答無用みたいにされても正直困るっていうか、私今あなたと戦うつもりはないっていうか!」

とがめは苦虫を噛み潰したような顔をして、「あー…」と言葉ならぬ返事をする。

「必要ない。こやつを斬れば、後々が面倒だ」

後々…そこでとがめが想起していたのは他でもなく真庭鳳凰のことだったが…それだけでないのは、確かだった。
真庭野兎(とは言えども、最後に会ったときの名前はまた違ったが)と会うのは、かれこれ数年来ということになる。そのときから変わらず、とがめは手を焼いていた。
どうにもこいつは扱いづらい。
野兎はそんな彼女の考えなど知る由もなく、ただ嬉しそうに口を開いた。

「じゃあ、ついて行ってもいいってことですね!良かった、本当困ってたんです」
「そうは言っておらん」

野兎の言葉にぴしゃりとそう言い返して、とがめは続けた。

「真庭忍軍であるおぬしを連れ歩くなど、愚の骨頂もいいところだわ。いつ挟撃されるやもわからん」
「そんなことしませんって!」
「しのびの言うことを私が信用するとでも思うのか?」
「うーん…じゃあ、こうしましょう」

そこで、野兎はちらりと七花を盗み見た。その目はまるで切れ味を確認するかのようでもあった。「初めまして、七花くん」ぺこりと頭を下げられて、つられて七花も頭を下げる。「つられておるでないわ」ととがめが七花の膝裏を蹴った。

「その手紙の内容を見る限り、あなた方は鳳凰さんが呼び出した理由を知らないんでしょう。もしかしたら、このまま望みもしない戦闘に縺れ込むかもしれない。もしかしたらその覚悟だけはあるのかもしれませんが…もしそうなりそうなら、私が仲介しましょう」

その物言いに、七花はほんの少しだけ眉を顰めた。野兎の言葉はまるで、戦闘に縺れ込めば七花やとがめに勝算はないと決め込んでいるようにも聞こえたからだ。
けれど、とがめは無闇にその言葉の撤回を求めようとはしない。

「おぬしがそうするという保証はどこにある」
「うーん、保証らしい保証はどこにもないんですけど…仕方がありません、もしそうしなかったら、後ろからでも首を刎ねてください」
「……」

あっけらかんとして言う野兎に、とがめは思わないところがないでも、ない。

こうなってしまえば、最早とがめの領分だ。自分などが口を出す云われもなく、若干蚊帳の外感が否めない状況となってしまった七花は、ただじっと野兎の体つきを見ていた。
品定め、と言ってしまえば簡単かもしれないが…体格だけ見る限りでは、それほど優秀なしのびというようにも見受けられない。恐らくきっと、女らしい体格ということもそれを助長させているのだろうが…

「ちぇりおーっ!!」
「ぐっ!?」

完全に不意からの攻撃だった。
実質的な痛みがあるわけではないが、突然背後からに入った拳に、七花はどちらかというと驚きの呻き声を上げる。

「な、なんだよとがめ…」
「そんな熱心な目でこやつを見ておるでないわ!」
「別にそんなんじゃ…」
「…仲、良いんですねぇ」

野兎の言葉で、とがめは我に返ったようだった。
はっとして野兎の方を見れば、やや苦い笑いを湛えた野兎が、二人の遣り取りを眺めていた。まるで微笑ましいものを見るかのようでもある。
ばつの悪いとがめは、こほんとひとつ咳払いをした後、「まぁ、それなら呑んでやらんこともない」と言った。野兎はそれはどうもと答えて、冒頭を繰り返すようにぺこりと頭を下げた。

けれど…とがめは別に、野兎の提示した案に納得したから、この交渉を承諾したわけでもないのだ。
強いて言うなら矢張り、こいつは扱いにくいと、そう思ったからであって。

「随分、しのびらしくなったものだな」
「褒め言葉です」

そう言って浮かべる笑顔が、まるで最後に会ったときと変わらないのだから救えない。
とがめはそんなことを思いながら、小さく息を吐き出した。


旅が道連れ

(あ、鳳凰さん!)(…うちの野兎が世話になったようだな)



Dear ico様 11.05.05