夢を見ていたいのだ。

きっときれいな華ではないけれど。



私の記憶には、いつも一人の男の姿がある。
それが一体どういう男なのか、どういう名前なのか、どういう出自なのか、果てには一体誰なのかさえも、私はわからない。
かーん、かーん、
どうして私の記憶にこの男の姿があるのか、それすらも私にはわからなかった。
かーん、かーん、
音が響く。まるで、金属を打ち付けるような。
ただ、男は笑う。
かーん、かーん、
その音だけは途切れさせることなく、記憶の中の男はいつも嗤った。
また来たのか、お前も物好きだな
そう言ってやっと、私の記憶はぶつりと途切れる。



私は、はたと覚醒した。
背中に当たる薄い布団の感触に、ここはどこだろうかと低回する思考で考えた。けれど、思いもつかない。ただ背中を湿らせる汗だけがやたら意識に鮮明だった。
模糊とした意識の中で、それでも手掛かりを探ろうとぐるりと室内を見回したとき、目の前にあった襖がすとんと開いた。

「ああ、目が覚めたのかい」
入ってきたのは商人のような風体をしたお爺さんだった。お爺さんは上体を起こした私を見るなり少し驚いたように目を開いたけれど、すぐにその目元は優しさを帯びて細められる。
上手く言葉が続かないでいる私に、お爺さんはまさに私が望んでいた答えを返してくれた。

「あんた、この先で行き倒れていたんだよ。何事かと思ったが、大事なくて良かった」
ああ、そうだ。その言葉を受けて、私の記憶はぐるりと逆戻りする。確かにその記憶は、道半ばにして途切れていた。
このお爺さんはそんな私をわざわざ連れてきてくれたというのだろうか。素性の知れない女を介抱するだなんて少々不用心が過ぎるのではないかとも思ったが、結果的には助けられたこの身である、滅多なことも言えない。

それで、私は一体どこへ向かっていたのだろう。
かーん、
そのとき、私の頭に音が鳴り響いた。
夢で見た音と、同じ響きだった。

「少し行ったところにある湖は不要湖と呼ばれていてね、危ないからあまり近寄らずにお行き」
かーん、かーん、
お爺さんの声すらも、音が全て掻き消してしまう。

「大丈夫かい、顔色が悪いよ」
かーん、かーん、
頭の裏側に響く音は、ただただ大きくなるばかりだ。
まるで誰かを、未だ永く待ち続けているかのように。

「夢を、見ていた気がするんです」

そのときの私の表情を見たお爺さんは一体何を思ったろうか。
何かを思い出したかのように「そういえば、あんた、少し似てるかもしれんねぇ」と何かを呟いたのだけは知っている。
何に、私は問いたかったけれど、
後の言葉は、刀鍛冶の音が全て掻き消してしまった。



例えそれが時を経て忘れられた

苦い果実であってもいいので。


相見えたとするなら、果たして死ぬのはどちらか。




10.11.23