母は、わたしを必要がないと言った。理由は単純にして明快だった。私が女だったからだった。母はわたしを必要がないと言った。父の技が継承されるべくは男がふさわしくそれ以外の何物でもなかったからだった。だから母はわたしが女人であることを平に隠した。不思議と父は気が付かなかった。
わたしは多分、それが良かったのだと思っている。誤算があるとすれば、父の持っていた技術がそれほどでもなかったということだ。
否、これでは語弊があるのかもしれない。あれと比べることはそもそも間違いだ。あれは違う。そもそも根本的なところで。
だから、わたしには思うところがないでもなかった。同じ女性であるというのに、わたしよりもか細いおんなの身体であるというのに。と。
わたしになにより鮮烈な印象を与えたのは、他でもない彼女である。


法衣姿の彼女は、視覚としてわたしを捉えるでもなく、部屋の真中で形良く座ったまま何かを呟いた。襖から部屋を覗いていたわたしに、確かに向けられた言葉だった。
「入って来なさいな」
声には恐ろしいほど色がない。
私は大人しくその言葉に従った。恐れをなした。決してそういうわけでは、ないけれど。それでも、それに何処か似たような感情があったのは事実だ。言葉なく席を勧められて、わたしは彼女の目の前に座す。近くで見れば近くで見るほど、線の細い女の人だった。
その姿が目の奥に焼き付いていくのを感じながら、これは果たして幸か不幸か、頭の中ではそんなことを考える。
突然やってきた彼女は、正に嵐そのものだった。この護剣寺が占拠されたのは本当にあっという間だった。僧も小僧も皆恐れをなした。彼女に進んで近寄ろうとは考えなかった。だから、わたしが彼女に朝夕の膳を運ぶことになっていたのだ。
不意に、頭の方から
「あら」という声が聞こえた。そこで初めて、わたしは俯いていたのだということに気が付いた。見れば、彼女は少し意外そうな顔をして、それでも目の色だけは決して変えずに私を見ていた。「あなた、女の子なのね」「…、」咄嗟に、言葉を返せなかった。何がそんなに不思議なの、彼女は言わなかったけれど、確かにそういう表情をしていた。わたしがずっとずっと直向きに隠し続けてきた事実も、まるで些事だった。目は冷たいままだ。「そんなに固くならなくていいのよ」ああ、いいえ、悪いのかしら。彼女の綺麗な形の唇が言葉を紡ぐ。わたしにはやはり、この人が理解できないでいた。…人?いや、この表現も正しくはない気がする。彼女はまるで人形だった。そう、眼窩にほの暗い硝子を嵌めた、綺麗な人形だ。ふと、彼女の手にわたしの目がいった。こんなにも細く生白い手が、わたしの両親の命を奪ったのだと思うと、特に何の感慨も湧かなかった。
「なにを、待っているんですか」
ひとつ言葉を間違えればわたしの首は胴体と別れていたというのに、今のわたしにはそれすらどうだって良かった。そのときの彼女の目は、真っ直ぐにわたしのそれを射抜いていた。網膜に焼き付く。
「…そうね、」ここで彼女はようやくその能面のような表情を崩した。この上はないくらい、邪悪な笑顔だった。「         」彼女が何を言ったか、記憶することは叶わなかった。
ただ、このひとはもうすぐ死んでしまうのだろうな、そう思った。


それから数日後、彼女は亡くなった。
刀大仏の前に散った血痕だけが、彼女が此処にいたことを知らせていた。


少年時代 
せつなのちには散っている、たとえば線香花火のような。
10.10.28