境内には、一羽のまっしろな兎がいます。
いつぞやのように、温かい日和でした。三途神社にもまた春が訪れます。それはもう何度繰り返されたでしょう。あのひとがいなくなった今でも関係なく季節は巡り、私の容姿は黒いままではありますが、それでも幾分か成長の兆しが見えているのではないかと、自らの事ながらそう思います。あのひとの時間は、止まってしまいましたけれど。
今でも私は、はたと気が付けばあのひとの姿を捜してしまいます。目で追ってしまいます。けれどそこにあのひとがいるはずがなく、その代わりいつも決まってそこにいるのは、一羽の兎でした。
「おねーちゃん!」
兎さんは、私を見つけるといつも決まってそう呼びます。それが私の名前であるかのように。『遊びませんか?』いつもそう尋ねて来ます。それが至極当たり前のことであるかのように。私はいつも返事をすることができません。それが何に起因するものなのかも、わかりません。いつからか私はその兎を避けるようになっていました。どうしてでしょう。敢えて理由を挙げるなら、あの人が此処にいたこと、その記憶に踏み入られるのが嫌だからでしょうか。
そんな日々の続いた、とある日のことでした。
いつものように、私は千段ある石段の掃除をしていました。竹箒の石段を擦る音は、いつも聞き慣れたそれです。冒頭で述べたように、温かい日和でした。いつぞやのように。
私はいろいろなことを考えます。それが私の、此処数年の日課であり、癖でもありました。
そのときでした。あの天真爛漫の声が、石段のはるか上から聞こえたのは。
駆け降りて来る音に、私は咄嗟に逃げの姿勢を取りました。階段を凄まじい勢いで下りてくるものを、避けようと。ここに来るより以前に培った、有り難くもない条件反射で、案の定白い塊は、その勢いを殺せぬまま階段を下ってゆきました。
ですが、そこで計算違いができたのです。私は、ここで己の身を引けば後は彼女が途中で止まるなど何らかの判断を下し、結局はまたこの石段を元気に笑いながら上ってくるだろうと思っていたのです。しかし、現実はそうではなく、彼女は石段の途中で躓きました。
小さな矮躯が、宙に、
「――危ない!」
私の喉が声を絞り出したのも、自然と手がその子を掴もうとしたのも、条件反射でありましょうか。
手のひらに、自分のとは違う柔らかな子供らしい手を感じたとき、私は何故か安堵しました。けれど、気が付きました。私もまた、空中へと放り出されていたのです。
私たちは一緒に、石段を下ってゆきました。私はその子を胸に抱いたまま、それでも終ぞ離そうとはしませんでした。
背中をあちこちにぶつけられる感覚が去ったのは、それから少し経ってのことです。気が付けば、小さな子が私を心配そうに見つめていました。おねーちゃん、また、私のことをそう呼びながら。
背中に石の冷たさを感じながら、私はその子の頬に手を伸ばしました。頬はとてもあたたかかった。今の日和と同じく、また、いつぞやの日和と――
――いいえ、そう思うのは、もうやめにすることにします。
小さな獣(私に日だまりをくれた、)
10.10.20