あなたが私に言ってくれたこと、今でも鮮明に覚えています。
私の化身したときの姿は、自分で言うのもお恥ずかしい話ではありますが、大層美しいものなのだと聞いています。月白から白藍に掛けて輝く翼が、闇夜であれば殊更煌いて見えるのだそうです。何せ私には見えませんので、煌いているのかどうかはわからないけれど、確かに私の翼の色は根元に向かって白藍がのびています。
私の双眸は、淡い蒼の色をしています。どうやらその色素というのも、マムクートの同胞からしてみても非常に珍しいものであるらしいのです。
私はある日、同胞たちには内緒で外界へ出向きました。ええ、勿論人の姿で、です。背中に押し隠した翼が、やたらに窮屈だったことを記憶しています。
辿りついた先のことは曖昧な記憶にしかないのですが、確かルネスという名の国だったと思います。
私はそこで、あなたに会いました。まるで世間知らずな私を、あなたは色々な場所へ連れて行ってくださいました。
しかし、大変申し訳ないことに、どんなところへ行ったのかまではあまり覚えていないのです。折角私を案内してくださったのに、私はその場所のこと、どんなことをしたか、どんな話をしたか、薄れた記憶にしかないのです。心の底から、あなたにお詫びしたい。
けれど、あなたが私に言ってくれたこと、ひとつだけ、今でも鮮明に覚えています。
あなたは私の蒼い眸を見て言ってくださいました。
「きれいだ」、と。
ただ喰い残された自我の、僅かな残滓の中で、私はそんなことを考えていました。
ムルヴァは魔王に破れました。ムルヴァを倒してしまうような化け物相手に、私が敵うはずがなかったのです。
私の白く美しかった翼は、今はそんな名残など一切残っていません。腐ってしまったように、空気とぶつかる度にぼろぼろと崩れ落ちます。その色は濁った灰色でした。
――ああ、段々騒がしくなってきました。
私と同じ末路を辿ったムルヴァ、遺跡の番を任されていた彼がきっと敗れたのです。仕方ありません、あれはムルヴァではなく、ただの死体です。ただの死体が、彼等に敵うはずがない。
残された自我の中、ミルラのことが少々気掛かりでした。そして、私は声にならない声で彼女に謝ります。ごめんなさい、と。あなたにはいつも辛い思いばかりさせてしまう。あなたの姉代わりだった私はもういません。もうすでに、死に絶えてしまったのです。代わりにあるのは、この醜い死体だけ。
血の匂いが増すたびに、私の本能は酷くざわめきます。残された自我の残滓でさえ、呑み込まれてしまいそうなほどに。私のちっぽけな思いがそれを拒もうとするのだけど――ごめんなさい、やっぱりそろそろ限界のようです。
わたしに残された断片的な記憶は、それすらもこのみにくい本能に食い殺されてゆきます。ああ、私のとなりにいた女の子、先程謝ったばかりの女の子は一体どんな顔をしていたのでしょうか?あなたの記憶も、やがて薄らいで、きえてしまうのでしょうか。それまで、時間はあまりありません。けれど、すこしだけ、時間があります。
魔物たちの軍勢を切り抜けて、一番最初にここへ辿り付いてきたのが、あなたでした。あなたは、再び現れた竜に目を見開きました。安心してください、わたしに、あなたをころすだけの時間はのこっていません。
――わたしの自我は、ただこの眸に凝縮されていたのだと思います。身体が醜いものへと変貌しても、眸の色だけは、僅かな思いとともに失わずにすみました。
最後に聞いたのは、あなたの息を呑む音。そして最期に聞いたのは、「、」そう呼んでくれたあなたの声でした。
わたしはさいごの自我と力を振り絞って、重い翼をもちあげました。もはやわたしには霞んだ視界のさきにしかあなたを捉えることができません。音はもうなにも聞こえません。その翼の赴くがままに、わたしは、奈落の真上で力尽きました。
『わたし』がうすれてゆく感覚のなかで、きもちは不思議とおちついていました。
わたしは、風をきってゆくうちに、そっとまぶたをとじます。
あなたの声、だけ が ただ、
微睡に溶ける子守唄
09.03.11