自分を動かせるものは、アイクの存在だけなのだと思っていた。
彼に出会ったそのときから、そう決めていたのだ。自分を救い出してくれた彼のために、何をどんなに犠牲にしてでも尽くそうと。
彼が、彼さえいてくれれば、他には何も必要がなかったんです。




彼女がこの傭兵団にやってきたのがいつだったのかは、正確には覚えていない。
それはつまり、自分が彼女のことを重要視していなかったということの証であり、それ以外のなにものでもないことの現れだった。彼女は、僕の中での中枢からあぶれた沢山のものの一つで、ただそれだけのものだった。
けれど、彼にとって、アイクにとっては違ったのだ。彼女がアイクと一緒に剣術の訓練をしていた時に、気が付いた。アイクは彼女をただの団員としては扱っていなかった。確かに不器用ではあったけれど、彼の彼女に対する接し方にはどこか思いやりがあった。
僕は、それから彼女を見るたびに、頭の奥が疼いているような不思議な感覚に遭った――嗚呼、正直に言ってしまおう。僕は、彼女を疎ましく思っていたんです。
彼女は剣術もまるで上達しないし、かと言って魔道の才能があるわけでもない。料理をやらせれば十中八九失敗するし、物を運ばせれば何もないところで転ぶ――最早確信犯なのではないかと疑わせるほどに、彼女は何もできなかった。それも、僕を苛つかせる要因のひとつだった。
名前で呼んでやるのも億劫になるほどに、僕は彼女が嫌いでした。




失敗する度に、彼女はごめんなさいと言う。それも回数を重ねる毎に、自分の耳には謝罪の言葉にすら聞こえなくなっていた。それだけ多く、彼女の謝罪を聞いた。その、少なくとも彼女は謝っているつもりでいる一言にも心がいらりと疼く。もういい、とそう言って背を向ければ、彼女はいつも哀しそうに笑った。どうしてこの状況で笑えるのか、そう考えると、矢張り彼女に向ける目は酷く冷たいものとなる。
けれど、僕は彼女が泣いた姿を一度として見たことがなかった。
だがそれも、あの日までのことだった。一度だけ、偶然泣いている彼女に遭遇したことがある。
傭兵団の拠点としていた砦から出て少し行ったところにある森で、彼女はひとり泣いていた。
彼女は笑うことしか能のない人間だと思っていたから、驚きだけは禁じ得なかったのを今でも覚えている。足を止めて、少しだけそんな彼女に見入っていたら、彼女はやがてその顔を上げた。
黒い、大きな目が自分を捉え、一瞬吃驚したように見開かる。――彼女は慌てたように立ち上がると、自分の隣をすり抜けて、そのまま砦へと帰って行ってしまった。
そういえば、あの日は僕が一段と彼女に辛くあたった日だったかもしれません。




を見なかったか?」アイクのその言葉に、僕はただ首を振るだけだった。何処へ行ったのか、見当すらつかないと、そう付け足して。
アイクはそのまま彼女を捜しに行ったけれど、結局僕は彼に、それ以上何も言わなかった。
――はまた、あそこで泣いているのだろうか。
僕は思うがままに、ただその足を森へと向けました。




僕を動かせるもの

09.03.08