私が誰もいない川縁でこっそりと剣を振る練習をしていると、ロイドはいつの間にか近くの木の影のところにいて、そんな私の姿を眺めているのだ。私はいつも彼の存在に気付くことができなくて、「またやってるのか」と声を掛けられて、ようやく剣を振るう手を止める。
「…ロイド」、私にしてみれば突然の登場に、思わず声が私の口を次いで出ると、彼は呆れ半分に優しく眦を下げていた。


私は自分に課せられた仕事の合間に、こうして度々剣を振るうことがあった。このことはロイド以外の人間は知らない。私が内緒にしていてくれと頼んだからだ。多分ロイドは弟であるライナスにも知らせていないだろうから、つまりこれは二人だけの秘密である。と形容すると、些かロマンチックではあるけれど。
長い間こうしてひとり剣を振るって来たが、どうしても彼のようにはいかない。そう言うと彼は「俺みたいになられても困る」と本当に困ったように笑うのだ。


「守られてばかりいるのは癪だもの」
目の前にいるこの人こそが、私の憧れの対象であり、目標なのだ。その彼の言葉に少しだけむっとしてそう言い返す辺りが、彼を含めた黒い牙の仲間たちが私を『まだまだ子供だ』と判断させるのに違いはないだろうけれど、しかしどうしたってこの性格だけは治りそうもない。


「お前にはお前の出来ることがあるだろ。剣なんて、無理して振るものじゃない」
「無理なんてしてない」
「この前倉庫で居眠りしてたのは誰だ?」
言葉を詰まらせた私を見て、ロイドはふっと小さく息を漏らす。そうされると、私は尚のこと何も喋ることができなくなる。ロイドは意地悪だ。それはライナスとは違う種類の意地悪で、私はどうしたってロイドにだけは勝てる気がしない。
そう、ロイドはいつだって意地悪なのだ。
私に剣を持つことをやめろと言う癖に、私にその考えを強要しようとはしないのだから。


「…そろそろ帰るか」そう言ってくしゃりと頭を撫でてくれる彼のてのひらが、私は大好きだった。剣を握るから、その分分厚い、無骨な、それでいて優しい手。

「お前は今のままでいい」
「そんなこと言って、足手纏いになってやるんだからね」
「ああ、それでもいいさ」


そうして私たちは、黒い牙の皆が待っている拠点へと、肩を並べて帰るのだ。


隣で穏やかに笑う彼の姿が瞼の裏に浮かんで、まるで蜃気楼のように霞んで歪んで消えてしまう。嗚呼わたしはこれを何度繰り返したことだろう。






黒い牙を離れて、私は変わったのだとラガルトは言う。
以前の私を知っているのは、今や彼だけとなってしまった。彼はそれが良い変化なのか悪い変化なのかまでは語ろうとしない。語るだけ意味がないことを、どうしようもないことを彼は知っている。けれど、ラガルトの私を見る目が、ときどきすごく寂しそうに細められるのを、私は知っていた。


「仕方ないんだよ」
ラガルトの言うことにそう返せば、彼もまた少し困ったように笑う。その表情がまた少しだけ彼に似ているので、私の胸の何処かがいつもざわめく。


何が仕方ないというのか。それは言い訳に過ぎなかったけれど、今の私にはその言い訳を並べ立てる他に手段がないのだ。それで全て片付けてしまえば、私が今ここにいる理由もかつて私が彼に抱いていた感情も全部が全部嘘だったように感じることができるから。


柔らかかった私のてのひらは、あれから少しだけ彼に似てしまった。




息する白い狼は、私の瞼からもう動くことはない。
白雉 12.02.08